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8月13日の朝、ホテルで惰眠を貪っていると、腹に響く爆撃音が聞こえてきた。今朝はいつもより空爆の規模が大きいらしい。戦争取材に来ているとはいえ、爆撃音に睡眠を妨害されるのは気にくわない。 「朝からボンボンうるせえよ!」 僕は仕方なくベッドを抜け出して、テラスに出た。レバノン南部の港町、スールの海岸通に建つこのホテルは、7月上旬から始まったイスラエルとヒズボラ(レバノンのイスラム教シーア派組織)の戦争がここまで激化しなければ、おそらく宿泊客で賑わった事だろう。しかし今この街は、ひっそりと静まり返っている。瓦礫と化したビルもそのままに。 テラスで朝食を食べていると、ますます爆撃は激しくなる。そのうち、一発の轟音と波動が僕の腹を直撃した。かなり近い。 実はその一発は、ある青年の命を奪ったのだが、僕がそれを知るのは約10分後の事になる。爆撃現場で僕は何を見たか……。
7月12日、長年敵対してきたヒズボラとイスラエルが、ついに本格的な戦争状態に入った。開戦の直接の契機は、ヒズボラがイスラエル兵二人を捕虜にし、それを奪還すべくイスラエル軍が本腰を入れたという所にある。しかし、長年続いてきた両者の敵対関係を考えれば、開戦原因がそのことだけにあるとは言い難い。 しかし、とりあえずそういった中東の複雑極まる歴史と現状は、ここでは省略させていただく。ともかく2006年の夏、戦場カメラマンや戦場ジャーナリストにとってレバノンは、最も注目を集める地域となった。 そしてこの僕も、悪化を続けるレバノン情勢が気になって仕方が無かった。実はレバノン戦争の開戦より少し前、僕には以前から慎重に事を進めてきた、東南アジアのとある国の、反政府武装組織に従軍する計画があった。そしてその計画は実現するだろうと、自分自身では確信していた。しかし、出発ぎりぎりになってそれが頓挫してしまった。 飛行機まで確保していた僕は、それはそれはかわいそうな人間だった。ガッデムガッデムと気がつけばいつも呟いているほどかわいそうな人間だった。そんなガッデムな日々に燃えだしたのがレバノンだった。これ、いかに強烈な誘惑だったか、少しは分かってもらえるだろうか?
戦場取材に行くのだと言うと、そういう人種と会った事がない人達からは、なぜ行くのかという質問が出てくる。正直、この質問は面倒くさい。うまく答えられないからだ。僕は戦場取材にたまに行くという以外は全く平凡な人間で、特に強烈なキャラクターではないと自分では思っている。 しかし周りの人は、戦場に行くような奴が、良くも悪くもまともな奴であるはずがないという先入観があり、仮に普通(普通の定義が難しいが)の人間だったとしても、何か強烈な動機があるはずだと思いたいらしい。 けれど・・・僕にはそういう人たちを納得させるような理由がない。真実を伝えたいとか、平和に寄与するとか、そういうまともな事を言えなくもないが、自分の中では決定打に欠ける。結局いつも「行きたいから行く。これで勘弁してよ」等と言って話を終わらせる。 ところでもう一つ。何故e-現場.comのスタッフが戦場取材に行くのかというと、要するにe-現場.comは究極の現場系求人サイトなので、「現場」という範囲の中に戦場も入っていて、僕はその第一号としての意味もあってレバノンに飛んだのだ。 という事で、今後e-現場.comは戦場に限らず、世界各地に取材班を送り込む計画になっている。e-現場.comのwebサイトやフリーペーパーの利用者は、もしそういう類の記事やコンテンツが少ないと思われた場合、是非とも激を飛ばして欲しい。「さっさと行かせてやれ!」なんていう風に。 そろそろジブン話はこれくらいにして、「レバノン潜入記」らしい内容に戻ろうと思う。
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